民芸運動・河井寛次郎の最後の内弟子── 森山雅夫さん

森山雅夫さん
島根県大田市の温泉津町には、日本西部最大の登り窯があり、陶芸の歴史は江戸時代の宝永年間まで遡ることができます。
現在でも3つの窯場が伝統的な手作り陶器を継承しており、その中で特に注目されているのが、民芸運動を指導した陶芸家の河井寛次郎の最後の内弟子――森山雅夫さんの「森山窯」です。作品は主に青く発色する釉薬の呉須釉を使用した急須、土瓶、湯吞などの日常食器が中心で、温かく素朴な魅力が人気を高めた。
現在85歳の森山さんは、創作活動に取り組まれるとともに、ご自身が培われた技術を次世代へと伝承することにも力を注いでおられます
1940年に島根県大田市朝山町で生まれた森山さんは、1957年島根県立職業補導所の陶磁器課を卒業しました。同年に河井寛次郎に師事し、その後1963年に倉敷堤窯の武內晴二朗で修業を積みました。その後、荒尾常蔵の勧めで1969年に大田市に移住し、1971年に森山窯を開きました。優れた技術により、1978年に島根県総合美術展で金賞を受賞し、1990年には日本民藝館展で協会賞を受賞しました。
森山さんは、呉須釉と石見陶土を組み合わせた技法を得意とされ、味わい深い日常の食器を制作されております
作品は、青色の呉須釉を多用している点が特徴です。森山さんは取材に対し、「河井先生に教えてもらった下薬には、地元温泉津で採れる長石を中心に天然藁灰・土灰を調合し、下掛けをしています。これによって柔らかく深みのある呉須の青色が出るようにしています。」と述べた。
陶土については、森山さんは「石見地区の陶土の特性は鉄分が多くて高温に耐えます。鉄分の無い(少ない)白土もあり、掘る場所を選んで使っています。」
森山ご夫妻は、修業中の弟子である平川美郁さん(左)と共に活動しておられます
窯を開いてからすでに53年が経ち、森山さんは感謝の気持ちを込めて次のように述べました:「始めは何が売れるかも分からなかったので、とにかく無我夢中でした。今では喜んでもらえる仕事が出来るようになってありがたいです。家内が手伝い以上のことをしてくれ、周りの人達にも助けられてここまでやってこられました。ここで勉強したいと言う人も何人かいて、それも助かっています。一人ではできなかったのでとてもありがたいです。自分自身が好きな仕事だから続けられたのもあります。これからも出来るだけ、身体の続く限り人から喜んでもらえるものを作り続けていきたいです。」