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京都で百年の歴史を紡ぐ、天皇陛下と文豪に愛された銘菓「鶴屋吉信── 柚餅」

京都市 2022/03/05 09:35
鶴屋吉信によると「明治・大正期の鶴屋吉信本店。本店は大戦中の強制疎開により取り壊され、大看板を含めた数々の資料も焼失してしまったそう。現在は堀川今出川に本店を構えている。」
鶴屋吉信によると「明治・大正期の鶴屋吉信本店。本店は大戦中の強制疎開により取り壊され、大看板を含めた数々の資料も焼失してしまったそう。現在は堀川今出川に本店を構えている。」
京銘菓
柚餅

明治元年から販売されている「鶴屋吉信── 柚餅」には、京都の深い歴史と記憶からなる伝統が受け継がれています。昭和17年(1942年)大東亜戦争の影響でインフレによる物資の不足から京都でも菓子の製造が困難になりました。代表的な京都の銘菓を保存し、伝統を受け継ぐため、昭和17年12月に京都府が18種類の「和生菓子特殊銘柄品」という条文を公布し、指定された18軒の和菓子名店に砂糖や原材料を配布して和菓子を製造させました。「鶴屋吉信── 柚餅」は、当時の京都府から「和生菓子特殊銘柄品」の一つとして指定された銘菓で、柚子のさわやかな風味は、昭和天皇や文豪の富岡鉄斎までが指名して購入したほどです。

 
京菓匠 鶴屋吉信の代表銘菓「柚餅」京菓匠  鶴屋吉信の代表銘菓「柚餅」
 

1868年(明治元年)に鶴屋吉信代表の銘菓「柚餅」が誕生してから150年。鶴屋吉信営業企画室の担当者は取材に対し、「当時鶴屋吉信では『柚(ゆう)みぞれ』という名前で夏限定の棹物をお作りしていましたが、ある時材料の配合を間違えてしまい、食べられるが棹物とするには柔らかすぎるものが出来上がってしまったそうです。これを見た当時の2代目店主が餅粉を加えるなど工夫をこらして餅の状態に練り上げ、砂糖をまぶしてみたところ、これが思いの外美味しいお菓子になり、柚餅誕生のきっかけなのだと伝わっております。」と語りました。

 
「この写真は昭和8年、昭和天皇の「柚餅」お買い上げに際し、職人一同、斎戒沐浴(さいかいもくよく=飲食をつつしみ水で身を清める)して製造している様子だ。」この写真は昭和8年、昭和天皇の「柚餅」お買い上げに際し、職人一同、斎戒沐浴(さいかいもくよく=飲食をつつしみ水で身を清める)して製造している様子だ
 

「柚餅」は、四国産の果汁が豊富な柚子、滋賀羽二重糯という最高級のもち米、徳島県産の阿波和三盆糖の3種類の精選された食材を使用して作られています。担当者は次のように語りました。「1933年(昭和8年)天皇陛下より代表銘菓『柚餅』お買い上げの栄を賜わりました。お買い上げに際しては職人一同斎戒沐浴し身を清めて製造にあたりました。」柚餅を好んで食した著名人について、「大正初め頃、四代目稲田儀三郎(ぎさぶろう)と、近代日本を代表する文人画家である富岡鉄斎(とみおかてっさい)氏との親交がはじまりました。京都市内に住居をかまえる鉄斎氏は鶴屋吉信のお菓子をお気に召していただいたとのことです。特に『柚餅』『福ハ内』をご愛好いただき、大正4年には『柚餅』の大看板への揮毫(文字を書いていただく)や、柚餅を讃える書画をいただきました。また、大正7年には『福ハ内』への揮毫・讃える書を寄せていただきました。これらの賜り物は今もそれぞれお菓子のパッケージにデザインされ、時を超えて受け継がれております。」とも語っています。

 
鶴屋吉信本店入口上を飾るのは、樹齢数百年の欅(けやき)の一枚板に緑青胡粉押しの大看板。 文人画家・富岡鉄斎画伯の揮毫です鶴屋吉信本店入口上を飾るのは、樹齢数百年の欅(けやき)の一枚板に緑青胡粉押しの大看板。 文人画家・富岡鉄斎画伯の揮毫です
 

京都の和菓子は古くから皇室、貴族、寺院、茶道家などが重要な場面で使用するお菓子でした。もともとこの和菓子文化は皇室貴族の上流社会に奉仕する為のものでしたが、時代の流れに伴って一般市民の間でも広まりました。「おもにお茶うけに召し上がられる場合が多いほか、ご法要のお菓子や、ご贈答品としてもご愛顧いただいております。通常のパッケージのほかに、ご予約限定の桐箱入りの商品もあり、これは特にご贈答におすすめです。」

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