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270年来の不昧公が残した茶の湯文化を受け継いで 創業147年の老舗「彩雲堂」銘菓 ── 若草

松江市 2021/08/20 09:22
松江藩・七代目藩主 松平治郷(不昧公) 画像。(江戸時代・19世紀 島根・月照寺蔵)
松江藩・七代目藩主 松平治郷(不昧公) 画像。(江戸時代・19世紀 島根・月照寺蔵)
松江茶の湯文化
不昧公銘菓 ── 若草
「茶の湯は稲葉に於ける朝露のごとく、枯野に咲けるなでしこのやうにありたく候。」 この言葉は「不昧公」の雅号を持つ松江藩七代目藩主であり歴史上の「茶人」としても名高い ── 松平治郷(1751-1818)が著書《茶礎》にて書き残した名言です。松平治鄉がもたらした松江茶の湯文化を語る上で欠かせないのが「不昧公御好み」の代表格である和菓子「若草」です。一時の間、製法が途絶えていた若草ですが、1900年代(明治時代中期)に彩雲堂初代山口善右衛門がその製法を文献を紐解き復刻した後、「若草」は再び現代に甦りました。松江市が誇る147年の歴史を持つ「彩雲堂」の中でも若草は二百年あまりの時を越えて今日まで変わらず受け継がれ、その豊かな味わいは今も多くの人々に親しまれています。





不昧公の著作《茶事十二ヶ月》の一冊の中で、茶席で振る舞われる百の茶菓子、として記載されている茶菓子の一つが「若草」です。また「若草」は不昧公が茶席で和歌を詠むときに使われたとも言われ、不昧公の詠んだ和歌:「曇るぞよ、雨降らぬうちに摘みてこむ 栂尾山の春の若草」から命名されました。栂尾山は京の西北にある最高級茶園です。春の日照時間は短く天候が不安定で晴れたと思えばすぐに雨が降り出しそうになる気候です。由来は「若草」の見た目がまさに、まだ芽の出ていない嫩草(どんそう)、つまり若草のように翡翠(ひすい)のような艶を持ち、その新鮮な緑色が春の息づかいを思わせたからなのでしょう。

 
初代山口善衛門の写真。製法の分からなくなっていた「若草」を作り直した人物です。 Photo:彩雲堂。初代山口善衛門の写真。製法の分からなくなっていた「若草」を作り直した人物です。 Photo:彩雲堂。

不昧公の逝去後、「若草」がどのような和菓子であったか次第に忘れ去られてしまいました。彩雲堂初代山口善右衛門は数々の当時の茶人達に聞き込みを行い、不昧公の御用座「 面高屋 」の文献を参考にした後、「若草」を復刻させることに成功しました。 明治時代の米子 ── 松江間の鉄道開通、1960年代昭和の国内旅行ブーム、松江市の菓子業者は不昧公の茶の湯文化こそが松江市の重要な象徴となるであろうと考え、菓子業者から続々と「不昧公銘菓の再興」の必要性が提起され、それに従うように「不昧公銘菓 ── 若草」がその代表としての地位を築きました。

 
「雑誌「製菓製パン」に掲載された記事。約40年前の工場内の様子です。 Photo:彩雲堂。「雑誌「製菓製パン」に掲載された記事。約40年前の工場内の様子です。 Photo:彩雲堂。

「若草」は春の銘菓です。元々1月から4月にかけてのみ販売していましたが、昭和時代に国内旅行の需要が増加したことにともない、遠方のお客様と旅のお客様に若草を召し上がって頂きたいという想いで、現在では、お土産としてご購入いただけるよう一年を通して「不昧公銘菓 ── 若草」を販売しております。松江市にお越しの際には、ぜひ抹茶と合わせて「不昧公好み ── 銘菓 若草」を和歌をお詠みになられながら四季折々の風景とともに二百年の間受け継がれてきた松江市の茶の湯文化の中にある侘び寂びをお楽しみください。

 
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