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【視点】小泉八雲がみた松江の文化=桑原賢司・松江市文化スポーツ部長

松江市 桑原賢司 2025/12/19 16:46
作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)

松江は小泉八雲が愛着を持ったまちとして知られています。
八雲は、1890年8月に松江を訪れました。ニューオーリンズで新聞記者、翻訳家、小説家として活躍していた頃、1884~85年「万国産業綿花100年記念博覧会」で日本館の美術や教育に関する展示にくぎ付けになり、その後ニューヨークで英訳版「古事記」(1882年)を読んで出雲に心惹かれ、日本行きを切望するようになったといわれています。

八雲が日本に来て初めて書いた『知られぬ日本の面影』は彼の代表作の一つで、ほぼ松江で書き上げたといわれています。市民の誇りであり、訪れる旅人を惹きつける宍道湖の風景。八雲は湖岸から見る落日の様子を美しい言葉で丁寧に描写しています。
 

    「太陽が沈み始めた。水面にも空にも、驚くばかりの得も言われぬ色合いの微妙な変化が広がってゆく。鋸の歯のような濃紺の山並みの上に、濃い紫色の雲が大きく広がっている。紫色の蒸気が、上へ上へと煙のように消えてゆき、ほんのり淡い朱と金色に変わったかと思うと、さらにかすかな緑色に変わり、空の青さへと溶け込んでゆく。はるか彼方の湖水が一番深まる辺りは、言葉にできないほどやさしいすみれ色に染まり、松林の影に覆われる小島のシルエットが、その柔らかで甘美な色彩の海に浮かんでいるように見える。~」(「新編 日本の面影」(池田雅之訳、2000年、角川ソフィア文庫))


130年余りを経た今も変わらぬ松江の風景です。

恋の成就を願いその行方を占う女性の姿が絶えない八重垣神社は、松江の郊外にあります。古事記に詠われる日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」には妻をめとったスサノオノミコトの喜びが歌われており、この神社の由来となっています。八雲が日本に帰化し、ラフカディオ・ハーンから改めたその名は、同じ和歌に由来します。

八雲はこの古い伝承を持つ神社について、『知られぬ日本の面影』に特に一章を設けて描いています。
 

 「恋人たちは紙で小舟をつくり、その上に一厘銭を乗せて池に浮べ、その舟のゆくえを見守る。紙が湿ってきて、水が中にしみ込んでくると、一厘銭の重みで、舟はすぐに池の底へ沈んでしまう。水は澄んでいるので、一厘銭は前と同じようにはっきりと見える。もし井守が近づいてきて、一厘銭に触れるようなことがあれば、恋人たちは神々の御心に叶ったことになり、幸せになれると確信する。」(同)


小泉セツは、八雲の妻となった松江の士族出身の女性です。八雲と夫婦としてともに暮らしながら、物語を語る才能で八雲の執筆活動を支えました。八雲の作品は「再話文学」と呼ばれ、高く評価されています。セツは日本に古くから伝わる説話や物語を八雲に語って聞かせました。セツが語り、八雲が固唾をのんでそれを聞きながら、声の調子や情景までをも相談し、物語を膨らませ、文学作品に昇華させます。八雲の傑作『怪談』もこうして生まれた再話文学です。八雲が再話した怪談話には、松江が舞台となっている作品もたくさんあります。

八雲とセツは、ともに家族との別れや家の没落などの悲しい幼少期を経験した人です。その2人が紡いだ物語は、生と死、人と自然、現実と超自然、東洋と西洋といった境界を行き来します。分断の世界を生きる私たちに、今その物語が響きます。

小泉八雲旧居や多くの怪談の舞台が残る、歴史ある松江のまちを歩いていただけると、より作品が身近に感じられるでしょう。(桑原 賢司 くわはら けんじ )
 

文化スポーツ部長  桑原賢司
【略歴】桑原 賢司(くわはら けんじ) 1967年、島根県松江市生まれ。2022年に松江市子育て部次長、2023年に同市こども子育て部次長などを経て、2025年4月に松江市文化スポーツ部長および松江歴史館副館長に就任。現在に至る。
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