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特集 | FEATURE

不昧流茶道(2) 內田曉子「松平不昧公と不昧流大円会」

松江市 2022/04/19 12:28
松平不昧公ゆかりの茶室「明々庵」©明々庵
松平不昧公ゆかりの茶室「明々庵」©明々庵
不昧流
松平不昧公
出雲松平家七代藩主治郷(はるさと)は、江戸後期の大名茶人として傑出した茶人です。出雲松平家は、家康の二男越前候秀康(二代将軍秀忠の兄)の三男である直政が、寛永15年(1638)信州松本から出雲国18万6千石に移封されてから、親藩として明治維新まで西国防備の要として、11代230年にわたり続いた名家です。

不昧公(1751~1818年)は、江戸赤坂の藩邸で生まれました。藩主教育の一環として、幼少の頃より禅の道を学ぶと同時に、雲州茶道頭、正井道有に遠州流を学び、京都から千家流の谷口民之丞を呼びその手前を学びました。17歳の頃、三斎流、荒井一掌に触発され、これが後の大名茶人不昧公への伏線となりました。

明和5年(1786)、幕府の茶道師範、石州流の半寸庵伊佐幸啄に正式に入門し、研鑽を重ね、この石州流を基盤とし不昧独自のものに完成したのが不昧流です。

不昧の茶式は、地元松江では家老の有澤能登、茶頭の藤井長古によってその後も継承され、明治時代には「不昧流」と呼ばれ、広く親しまれるようになりました。昭和8年(1933)に不昧流大円会(当初雲州大円会であったが昭和63年不昧流大円会に名称変更)の始まりであり令和の現在へと続いています。

(文:內田曉子)
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