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特集 | FEATURE

野太刀自顕流── 薩摩藩幕末維新の剣

鹿児島県 2024/12/30 12:08
野太刀自顕流奥義の稽古── 「続け打ち」
野太刀自顕流奥義の稽古── 「続け打ち」
野太刀自顕流
薩摩藩幕末維新の剣

明治維新回天の剣と称される「野太刀自顕流」は、薩摩武士の魂を象徴するだけでなく、幕末の激動の歴史の中で日本の近代化を切り拓く維新への道を切り開きました。西郷隆盛の側近である「人斬り半次郎」桐野利秋や、日露戦争で日本海海戦の名を轟かせた元帥東郷平八郎など、いずれも野太刀自顕流の門弟でした。英雄たちを数多く輩出し、日本剣術史において現代日本に最も影響を与えた流派といえます。

 
野太刀自顕流研修会の道場長  伊東丞士氏野太刀自顕流研修会の伊東丞士道場長
 

伊藤政夫に師事し、6歳から野太刀自顕流剣術を学び始めた野太刀自顕流研修会。道場長の伊東丞士氏は取材に対し、「野太刀自顕流の歴史は、伴兼行(とものかねゆき)がルーツと言われている。幕末にかけて門弟の中から優れた人物が輩出した。桜田門外の変の有村次左衛門、寺田屋事件の鎮撫使江夏仲左衛門、生麦事件の奈良原喜左衛門等々、そして戊辰戦争では参謀・軍監として多くの勤皇の志士が現れた。また、西郷隆盛の側近であった『人斬り半次郎』こと桐野利秋も青年のころ、一時、江夏仲左衛門のもとで野太刀自顕流の修練を行っていた。明治維新は、野太刀自顕流が叩き上げたといわれる所以である。」と話した。

 
薬丸野太刀自顕流保存会の会長  瀬戸口敏昭氏薬丸野太刀自顕流保存会の瀬戸口敏昭会長(中央)
 

歴史の変遷により、現在に伝わる野太刀自顕流には、「薬丸野太刀自顕流」「薬丸自顕流」「薬丸流」など異なる名称があります。しかし、その技や稽古の核に変更はありません。
最も重要な稽古手順について、薬丸野太刀自顕流保存会の会長である瀬戸口敏昭氏は「最初は足腰の鍛錬として『続け打ち』から始めます。昔は『朝に3千、夕べに8千』と言われるほどの鍛錬をしていたそうです。しかし、続け打ちは初心者だけのものではなく、基本であると同時に奥義であるとも言えます。日露戦争の日本海海戦で有名な東郷平八郎元帥は当流の門人でしたが、生涯続け打ちを続けていたと言われています。」と述べ。

 
薬丸自顕流顕彰会の理事長  薬丸兼弘氏薬丸自顕流顕彰会の薬丸兼弘理事長(中央)
 

野太刀自顕流剣術の修練においては、技の稽古だけでなく、思想の養成がより重要なポイントとなります。
瀬戸口敏昭氏は「当流の心得に『当流修練の目的は、天地を両断する如くの気概を養成するにあり』とある通り、不可能と思われる事でも『絶対にできる』と信じて実践する精神です。」と話した。
これに対し、薬丸自顕流顕彰会の理事長である薬丸兼弘氏は次のように説明しています「『防御』、すなわち自分の身を守る技というものが存在せず、その考え方すらもなく、初太刀に全てをかけた攻撃あるのみの薩摩の実戦剣術であり、最後の一人となっても最後まで戦い抜く強い精神が求められる剣術となります。」
まさにこのような精神こそが、野太刀自顕流を日本剣術史のみならず、幕末維新の歴史の中でも揺るぎない地位に押し上げた理由なのです。

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