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将軍の剣! 柳生新陰流── 徳川幕府「兵法指南」

奈良市 2023/02/10 14:50
芳徳禅寺住職 橋本紹尚氏
芳徳禅寺住職 橋本紹尚氏
将軍の剣
柳生新陰流

日本武道史において「柳生新陰流」は極めて少数の「将軍の剣」と呼ばれる剣術流派であり、それは日本武道史上の地位において、徳川家康公自ら試みたことによって歴代江戸幕府将軍の兵法指南になっただけでなく、さらに柳生石舟斎宗厳によって確立した「無刀取り」と「活人剣」と呼ばれる兵法哲学が揃っていて、理論上と実践上における名実ともに相応しい「将軍の剣」になった。

 
芳德禅寺には今日まで数多くの柳生新陰流の歴史文献が残されている芳德禅寺には今日まで数多くの柳生新陰流の歴史文献が残されている
 

柳生新陰流の達人神戸金七に教えを受けた芳徳禅寺 橋本紹尚住職(84)によると「争いを避け、命を大事にするために柳生石舟斎宗厳は『無刀取り』という剣術を生み出し、剣で人を活かして、人を殺さない。素手で何も持たなくても相手の武器を奪うことで双方の命の安全を保障した。これは江戸柳生の非常に重要な特徴であり、実際人を斬る方を主にした尾張柳生とは異なっている。」と語った。

 
二蓋笠会 畑峯博会長二蓋笠会 畑峯博会長
 

このように人を殺さずに人を活かすことを目的とした平和的剣術の思想起源について、二蓋笠会畑峯博会長は新陰流の創設者上泉伊勢守信綱の剣術理論が根底にあるという。「上泉伊勢守の兵法は、自分の身を守ると同時に、敵の生命をも尊重し、その生を断つことを嫌い、ただその戦闘力を失わしむるを主眼としている。そしてこの理念を受け継いだ柳生石舟斎宗厳は、新陰流に『無刀の位』の工夫を新たに加え、『無刀』を根本として新陰流を再構築し、 武器に依存しない武術、平和の剣としての完成度を高めま した。それが 『柳生流 (柳生新陰流) 』です。」と話した。

 
柳生新陰流兵法師範 池之側浩氏柳生新陰流兵法師範 池之側浩氏
 

しかし徳川幕府の兵法指針として柳生石舟斎宗厳が創設した剣術理念は結局のところ「殺人剣」なのかそれとも「活人剣」なのか。柳生新陰流兵法師範池之側浩さんは「一人の悪人を殺して万人を生かす『一殺多生』の剣を振るいつつ、『殺人刀即活人剣』として平和な時代の武士の心構えを教えました。剣術を『修身の剣』から『治国の剣』へと展させた、これこそがまさに柳生新陰流の真の奥義です。」

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