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北辰一刀流── 名人を輩出した剣道のパイオニア

東京都 2023/03/23 23:04
北辰一刀流玄武館六世宗家 小西真円一之氏
北辰一刀流玄武館六世宗家 小西真円一之氏
北辰一刀流
玄武館

数多ある古流剣術の中でも「北辰一刀流」は極めて重要且つ研究価値のある流派である。その理由は幕末に多くの名人を輩出したことが挙げられる。例えば幕末維新志士 坂本龍馬、江戶無血開城の立役者山岡鐵舟、さらに幕末最強の剣士集団である新撰組の中にも多数見られる。より重要なのは北辰一刀流創始者千葉周作が行った稽古方法の修正及び竹刀、防具の改良によって現代剣道の形を創り上げたことだろう。

 
北辰一刀流抜刀術納刀時の残心北辰一刀流抜刀術納刀時の残心
 

千葉周作の出自については諸説ある。北辰一刀流玄武館六世宗家 小西真円一之氏は取材に対し以下のように話した。千葉周作は1793年奥州気仙村(現在の岩手県)に生まれた。16歳で「一刀流中西派」中西忠兵衛の門下に入った。しかしその組太刀の不備を痛感し、改良を進めながらも関東や甲信越、東海地方など各地の強豪に試合を挑んだ。その後、家伝である「北辰流」と伊藤一刀斎の「一刀流」を統合し、28歳の頃、日本橋品川町に自身の道場「玄武館」の創設。こうして正式に北辰一刀流の時代が幕を開けた。

 
北辰一刀流における竹刀高速打撃稽古── 木の葉落とし北辰一刀流における竹刀高速打撃稽古── 木の葉落とし
 

千葉周作は卓越した剣技と合理性を持ち合わせた稽古方法を用いたことによって他の道場で10年かかる修行を玄武館では5年で完成させたと言われている。これにより「技之千葉」という評価を獲得し、後に齋藤彌九郎の練兵館及び桃井春藏の士學館と並び江戸幕末三代道場に数えられる。稽古方法の修正及び竹刀、防具の改良は現代剣道の確立と発展に重大な影響を与えた。例えば大日本帝國剣道形制定の主查委員である門奈正と內藤高治は北辰一刀流の門人である。

 
現在の善福寺玄武館道場は五世宗家小西重治郎成之により戦後に建てられた現在の善福寺玄武館道場は五世宗家小西重治郎成之により戦後に建てられた
 

北辰一刀流は戦乱や災害を経て流離された。その後、昭和20年に五世宗家小西重治郎成之が北海道小樽から東京都杉並区に地を移し、新一代の発展が始まった。荻窪警察署にて史上初の警察大学校剣道師範を歴任しただけでなく、「交剣知愛」の思想を提唱し、北辰一刀流を活人剣として門下生を指導した。小西重治郎成之は平成20年に89歳でこの世を去り、現在は息子である小西真円一之が六世宗家を継承している。小西真円一之は幼少期から父と共に各地の道場にて剣術指導を行い、六代目継承後は父の活人剣の理念のほか、北辰一刀流のグローバル化を積極的に推し進めている。現在は善福寺玄武館道場に各国から生徒が集まり、剣術学習をしている。

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