気の積層・制作雑記(川瀬伊人)
川瀬伊人
《 作品「気の積層」 》
・気の撥を観る
・大気のうねりを体感する
・気の束が身体を貫通する
それを墨で表現してみようと筆をとる
不確かで曖昧なそれを表現する方法が分からないまま、とにかく筆を走らせる
和紙の裏から細く薄い墨跡を重ねて重ねて、更に重ねて、、
何度も何度も重ねて
何百回も何千回も重ねて
「書」特有の一回性の創造をひたすら繰り返す
手間を掛けまくって丁寧に繰り返す
和紙が破けてしまわないよう細心の注意を払う
しかし一方では、破けてしまっても構わないからという本音が共存する
何枚も何枚も描こうが、それに近づく手段が分からないから、ただひたすらに画面上で
手探りを繰り返す
いつしか「良い作品を作る」の更に先へ絵筆を伸ばしたくなっている
描いているうちに目指すものが少しずつ見えてきた
・瞑想を伴うような
・呼吸を整えたくなるような
・気の束を身体にまといたくなるような
制作しながらそんな事を思考し、作品の完成を目指している
作品【気の積層】はそういう作品へ昇華させたい
川瀬伊人 作品「気の積層」の制作風景(1)
《 制作雑記 》
2020 年が明けてから徐々に COVID-19 による社会情勢が急展開する。
未知のウィルスに世界が揺れる中、僕の生活はというと、2020 年の夏からは COVID-19
どころではなくなっていた。
世間と隔離された病室でコロナよりも致死率の高い病と秘闘が始まった。
一年前の 2019 年の思い出す。
平成から令和へ移行するタイミングは、香港から帰国する機内にいた。
暑い真夏の NY では現地の人々と交流を深めながらオープンスタジオで制作したり、マンハッタンで展覧会を開いて頂いたり。
国内では、渋谷 NHK スタジオへ出かけ、大河ドラマ「麒麟がくる」に登場する水墨画などを制作していた。
忙しく移動して、制作して、充実した日々を過ごしていた。
国をまたいで活動し、僕の活動をサポートしてくれるスタッフの熱い気持ちや現地の熱気を浴びながら、僕もそれに負けないよう気を張りながらスケジュールにしがみつくように
仕事をこなしていた。
それが僕の日常だった。
ところが一年後には病室で過ごす生活へ一変する。
あまりに変わり果て、自身が置かれている状況に呆然とし、受け入れることが難しかった。
仕事やスタジオを離れ、強制的に寿命と対面する最中で色々な事を思い、考る時間を過ごした。
入院手続きをする際はいつも大きな窓側のベットを予約した。
せめて窓際で外の様子を眺めて長い入院生活を送りたかったし、人生の最期になるかもしれない状況であるから、常に外の景色を見て過ごしたかった。
半年間に 6 回の入退院を繰り返す生活は、病室から四季を眺めて過ごすことになる。
夏は太陽が燦々と降り注ぎ、高温に焼かれるアスファルトを見て過ごした。
秋には木枯らしが落ち葉を舞いあげ、冬には雪を散しながらガラス窓に張り付く雪の結晶を眺めて過ごした。
春には眼下の桜が咲いていく様子と、暖かそうな陽光を見つめていた。
窓ガラスを通して外部の変化を見ながら、しかし病室は一定の温度と湿度が保たれている。
目に映る季節の移ろいや空気の流れは、ガラス窓一枚を隔て、僕はそれを体感できない。
病棟の内側では外気は感じないし、騒音は遮断され、アルコール除菌の匂いが漂う空間に閉じ込められていた。
それは実に不思議な体験だった。
五感が休止する、という体験だ。
隔離とはこういうことかと寂しい気持ちが続いた。
最後の入院は 1 ヶ月間続いた。
1 ヶ月ぶりに退院して外へ出た時は桜が咲く頃の季節で、病棟を出てまず初めに感じたのは、冷たい風と暖かい空気が交互に身体へ押し寄せる、といった五感を柔らかく刺激する
体験だった。
都会の騒音も心地よい。
車の排気ガスすら嬉しくなる。
僕の身体は春の陽光に照らされながら、生暖かい匂いを吸い込み、空気の流れを、大気のうねりを丁寧に集中し感じていた。
退院して自宅療養を続ける中で、なお一層考えた。
これまでのこと。
これからのこと。
何に時間を割いて生きていこうかと。
僕は絵描きを生業にしている。
これまで様々なモチーフを描いてきた。
華や動物や船や月や人物や、、
画面には余白が存在感を増し、余白には「気のうねり」を漂わせ、時には主役よりもそれを表現することに力を注ぎ、制作へ没入していた。
背景にただ漂う「気のうねり」を主題へ置き換えそれだけを描きたい、という願望がずっと残っている。
画面から主題を取ってしまい、いっそのこと大気や時間やノイズだけを作品化するシリーズをまとめて作りたい、20 年前から考えていた。
長い入院生活を終え、病棟から外へ出た時に感じた暖かい空気と冷気が入り混じる「気の束」を身体で受けとめる、あの経験が制作のトリガーになってしまっている。
おそらくその作品は鑑賞者が対面しても、何だかよく分からない作品になりそうだけど、まあそれでいいじゃないか。
上手い絵を描くとか、良い作品を作るとか、その更に先へ絵筆を伸ばした時、どんな完成へ着画するのか、作者本人が楽しみで仕方がない。
「何をどう見るか、感じるか」を鑑賞者にゆだねよう。
アート作品は本来そういうものであるのだから。
2022 年 3 月
川瀬伊人