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特集 | FEATURE

諏訪敦さん「『画家の眼』で認識を問い直す」

東京都 2022/01/08 11:14
《Stereotype 08》  (detail)  2008  1940 × 1293 mm Oil on Canvas / panel Collection : Yokohama Museum of Art  (Kanagawa Japan) © Atsushi SUWA
《Stereotype 08》 (detail) 2008 1940 × 1293 mm Oil on Canvas / panel Collection : Yokohama Museum of Art (Kanagawa Japan) © Atsushi SUWA
写実主義絵画
諏訪敦

写実絵画のテーゼは、「現実を客観的に見て、ありのままに写すこと」といわれていますが、そこに新たな展開は望めず、自ら膠着状態に陥っているかのようです。それは例えば実在する林檎は誰が見ても同じ色や形であるというような、暗黙の了解の上に成り立つものですが、果たしてそれは真実でしょうか。そもそも客観視という概念を絵画に適用可能なのでしょうか。

 
《大野一雄》2007。1200 × 1939 mm。Oil on Canvas。© Atsushi SUWA《大野一雄》2007。1200 × 1939 mm。Oil on Canvas。© Atsushi SUWA
 

ときに私は他者と共有できない、「個別的な見え方」について考えることがあります。プロイセンの哲学者、イマヌエル・カントが提唱した「物自体(ものじたい、独:Ding an sich )」を、厳密にいえば私たちは共有できません。それは例えば、海亀のもつ四原色の視覚に彩られた環世界を、人間が正確に認識できないように、微妙な身体条件による差異を抱えた存在としての「個別的な見え方」は一定ではなく、それぞれが多様な現象を見つめていることを意味しています。

 
《 A country only empty and beautiful ver.2 》2016。 727 × 530 mm。 Oil on Panel Private Collection。 © Atsushi SUWA , Courtesy of Gallery Naruyama《 A country only empty and beautiful ver.2 》2016。 727 × 530 mm。 Oil on Panel Private Collection。 © Atsushi SUWA , Courtesy of Gallery Naruyama
 

また、人間の脳は認識対象を重み付けし、あらかじめ選別することで処理効率を上げ、やっとそれで日常生活を可能にしていますから、網膜には視野のすべてが映り込んでいたとしても、実際には本人にとって重要度の高いもの、つまり見たいものしか見ていないという説はよく知られていることでしょう。一方で、無意識のうちに排除された情報を心理的盲点といいますが、「画家の眼」で描くという行為は、その盲点を解除し、認識を再検討することなのかもしれないと、私は日々の制作の中で実感しています。そして更にはそうすることで写実絵画という因習的な枠組み自体を疑い、突破することを制作のモチベーションにしているのです。

 
《水の記憶》2003。727 × 910mm。Silverpoint, Pencil, Oil, Acrylic on Panel。Private Collection。 © Atsushi SUWA《水の記憶》2003。727 × 910mm。Silverpoint, Pencil, Oil, Acrylic on Panel。Private Collection。 © Atsushi SUWA
 

私にはある条件が揃うと、他者との断絶を実感する時間が訪れます。それは閃輝暗点という症状(光の歯車のようなものが、チカチカしながら視野の外側へと移動する症状が代表的)で、小説家、芥川龍之介の「歯車」でもその現象が書かれています。私の場合は、注視する対象が陽炎のように歪み、そのすぐ脇に液晶のような、日光よりも強烈なきらめきがあらわれて、そこに見つめようとする目標があるのに、どうしても焦点を結ぶことができなくなります。それは偏頭痛や吐き気を伴う苦しい時間ですが、徹底的に私だけの体験であり、誰もが自分の身体に閉じ込められている存在であることを思い知る、孤独でしんとした時間でもあるのです。

 
《目の中の火事》Fire in The Medial Orbitofrontal Cortex 2020。 273 × 455 mm。 Oil on panel。 Collection : 株式会社 東屋、© Atsushi SUWA《目の中の火事》Fire in The Medial Orbitofrontal Cortex 2020。 273 × 455 mm。 Oil on panel。 Collection : 株式会社 東屋、© Atsushi SUWA
 

ときに私は、この閃輝暗点が引き起こす「個別的な見え方」が明瞭に現れた状況を、できるだけ忠実に、詳細に、濁りなく絵画に描き起こし、鑑賞者と共有しようと試みてきました。それは目で知覚したそのままの、人間にとってのRAWデータのようなもの、つまり既存の概念との擦り合わせが実行されていない、「現象」の段階にあるビジョンこそが、私には日常的な光景よりも純度が高いものに感じられ、人間存在の不思議に直結しているように考えるからです。私的な解釈に過ぎませんが、かのアルベルト・ジャコメッティに逃げ水を追うような、終わりのない制作へと向かわせていた理由は、彼は毎朝まったく同じ空間を見たとしても、それは常に更新されたものとして知覚していたからではないでしょうか。

 

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2022年の冬には、このような思索の結果としての新作を交えた、大規模な企画が東京都内の美術館で予定されています。来る3月には情報が解禁されますから、私のWEB(atsushisuwa.com)やSNS(twitter.com/suwakeitai)をチェックしてみてください。

 
 
諏訪敦さん(左) は、百歳を超え要介護状態にあった舞踏家・大野一雄さんの元へ訪れ、スケッチと取材を行なった。2006年12月28日 川本聖哉撮影諏訪敦さん(左) は、百歳を超え要介護状態にあった舞踏家・大野一雄さんの元へ訪れ、スケッチと取材を行なった。2006年12月28日 川本聖哉撮影
 

諏訪敦(Atsushi Suwa)
1967年北海道出身、武蔵野美術大学院修士課程修了。1994年に日本文化庁派遣芸術家在外研修員としてスペインに派遣され、翌年にはアジアの芸術家として初めて、The Barcelo’ Foundationが主催する、 国際絵画コンクールで一等賞を受賞している。2018年、武蔵野美術大学教授に就任。
東京の成山画廊、香港のKwai Fung Hin Art Gallery での個展の他、彼の作品は主要な美術館と芸術センターに広く展示されており、東京新国立美術館、横浜美術館、中国の上海美術館、香港のJames Christie Room、パリのEspace Pierre Cardin 、バルセロナの Museu Europeu d'Art Modernなどで展示されている。
取材対象とのコミュニケーションを重視し、絵画制作のプロセス全体をプロジェクト化した諏訪敦の特異なスタイルは注目を集め、日本の公営放送局NHKや映画監督が彼を記録した、ドキュメンタリー映像が5作品存在する。

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