「備前焼の鬼才」で知られる、安倍安人以外には見ない
安倍安人
出川直樹の著作「ひとすじの清流」に、安倍安人は「誰もが驚くのがそのみごとな焼成である。湿潤で渋さの中に底光りがするような肌合は桃山備前にはよく見られ、これこそ名陶備前の名を高めた第一の要素だが、不思議にも現代ではこの焼成ができるのは安倍安人以外には見ない。」を熱く語りました。安倍安人は「桃山以来の桃山備前」と言われた陶芸家です。一定のルールに則って、桃山という時代、あのような自由な造形を生み出し、世界中に高い評価を得ました。作品はアメリカのメトロポリタン美術館や台湾国立故宮博物院所蔵されています。
安倍安人は1938年大阪市生まれ、愛媛県東予市に移り住み、高校卒業後、洋画を学ぶために上京し、丸紅の代理店に勤めました。そして仕事のために愛媛県に戻りました。1967年に1回目の個展を開催しました。1970年に大阪のギャラリーによって作品を公表して、凄い勢いで売れました。その時、仕事しながら、契約の通り一定数の作品を出さなければいけない、重圧の毎日、陶芸を作ることに救われたという。安倍安人陶芸の世界は高く評価され、「木花窯」を設立した後、正式に陶芸の道へ入りました。1977年の「木花窯安倍安人作陶展」、東京の陶芸業界を魅了しました。2006年に国際陶芸アカデミーリガ大会に新作を発表し、備前焼に「色」を加えて、世界から注目されて、評価が高まっていきます。作品はアメリカのメトロポリタン美術館や台湾国立故宮博物院所蔵されています。
「絵画については行き詰まったような閉塞感に陥り、作陶することで開放されたような気がしました。当時は、絵を描けば描くほど、精神的に苦しくなったのです。逆に、焼物をつくるときは、癒される気持ちになりました。窯の火だと思います。火を見つめて、炎に救われたように思います。」
安倍安人の作品を鑑賞し、特徴を理解するには、彼は「桃山」をどのように捉られたのを理解しなければなりません。千利休と楽長次郎、織部様式と桃山時代の陶工たちから研究しました。安倍安人は古代窯の遺跡などを調査し、自分の経験を生かして、独自の「休み焚き」手法を考えました。(休み焚きとは、窯の底、壁、てっぺんに蓄熱できる方式、熱効率が高くなり、まんべんなく作品を焼くことができます。)
作品題:彩色花いらず「太陽に吠えろ」(発表年:2018年)。
「真っ赤な太陽が、照りつける野原で、一匹のバッタを見た時、「君も頑張っているか」と声をかけたくなる。世間ではなく、古備前とか、現代備前だとか、切り放して考えているが、私は過去1,000年と、これから続く未来にの中にあって、この一点は、どの位地に立つことが出来るかを、いつも考えている。」
「名称の花いらずは、私の命名である。名のごとく花は入りません。花も水も入らないかもしれないが、心の花が入れば、それでよいと考えている。彫りの絵は、桐の紋章をデザイン化、焼成後その頭部はダイヤモンドがリターで削り、ガラスを焼きつけ、最後に金彩にある。」
「陶芸に献身的に研究」安倍安人は土の種類、窯の形、温度、時間など計算と研究を重ねて自分なりの「答え」を探しました。立ち止まることなく常に新たな可能性を追求されるのは手法です。古備前写しではなく、桃山の造形と焼成を巧みに活かす、独特な作品を生み出しました。古美術商の池田克哉は「安倍安人以外はいない」と評価しました。